紀尾井町 福田屋でいただく会席、その感想。
「紀尾井町 福田家」とは
「紀尾井町 福田家」という名前の通り、紀尾井町にあるお店。
ミシュランガイド東京版に17年連続で、二つ星として評価されています。
ちなみに、
「紀尾井町」の由来は、江戸幕府の時代に、
紀州徳川家
尾張徳川家
彦根藩井伊家
の3つの大名屋敷が、この地にあり、
それぞれの家の名前「紀」「尾」「井」を組み合わせて、
「紀尾井町」になりました。
「紀尾井町 福田家」は1、939年に始まったお店で、お店のホームページによると、最初の場所は紀尾井町ではなく、虎ノ門だったようです。当時は「虎ノ門 福田家」だったのかなぁ?
北大路魯山人と関係が深い?
この「紀尾井町 福田家 」は、北大路魯山人と関係が深いようで、料理プランによっては、魯山人の器を使ったものもあります。
北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん)
1883年〈明治16年〉3月23日 - 1959年〈昭和34年〉12月21日)は、日本の芸術家。本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。生後すぐ里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。
晩年まで、篆刻家、画家、 陶芸家、書道家、漆芸家、料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。
北大路魯山人が幼少期にお世話になった「福田家」が、この「紀尾井町 福田家」と関係があったのでしょうか?
また、北大路魯山人といえば、食を美の対象として高めた人物として有名で、あの料理漫画「美味しんぼ」の海原雄山のモデルとも言われています。
1921年(大正10年)、会員制食堂「美食倶楽部」を発足。自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作していた。1925年(大正14年)3月20日には東京・永田町の「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」会員制高級料亭を始めた。
フランス料理に対して厳しく、渡仏の際に訪れた鴨料理店「トゥール・ダルジャン」で、「ソースが合わない」と味そのものを評価し、自ら持参したわさび醤油で食べたこともあった。
娘を溺愛したものの、長じて魯山人の骨董を持ち出したことから激怒して勘当し、最晩年にいたっても本人の病床に呼ぶことすら許さなかった。
「美味しんぼ」ででてくる海原雄山の行動は、北大路魯山人のエピソードを元にしているものが多いと思います。
紀尾井町 福田家の感想
今回は、仕事でお世話になっている方(年配)との会食のため、相手方のご指定のお店を初めて利用しました。そういうシチュエーション重視の会食には非常に適していると思います。また、訪日外国人が日本らしい食事体験を求める際には、まさに理想的な選択肢と言えるでしょう。
都会の中にありながらも静謐で落ち着いた空間、歴史ある器、そして伝統的な会席料理と、日本の美と風情を存分に味わうことができます。
紀尾井町 福田家の残念な点
お店の外観が、サザエさん時代の家的な感じで、普通の家っぽいのが、ちょっと残念。中は落ち着いた雰囲気で、キレイにされていて、問題はないのですが。お店の周りは、かなり先進的な建物があるなかで、ここだけ時代が止まっているような。映画「カールじいさんの空飛ぶ家」で、立ち退きを拒んでいるカールじいさんの家のような感じです。
料理自体は、一品一品に丁寧な仕事が施され、美味しくいただきました。
ただ、ちょっと時代が古い感。伝統といえば、そうかも知れないです。同じ料理を、京都とかで供されるならば違和感はないのですが、東京だと時代の流れから取り残されているように感じてしまいました。これは、イノベーティブ料理とか、自分の解釈で作られる料理人が増えたこともあるかもしれない。